産経新聞 2018年7月11日

https://www.sankei.com/column/news/180711/clm1807110007-n1.html

 今年6月、成人年齢を18歳に引き下げる改正民法が成立した。世界の趨勢(すうせい)は18歳成人であり自立と社会参加を促すために必要との判断だ。関連して巷(ちまた)で議論されたことは選挙権・成人式・飲酒・ローン契約の消費者トラブル・刑事罰といった問題だ。いずれも重要だが「人を大人たらしめる教育の不在」こそが最も重要な問題ではないか。

 子供も大人も様々(さまざま)な直接間接の体験から情報を得て、自身の価値観を形成する。一日の大部分を過ごす学校で学んでいることは「知識の習得」が大半を占め、「精神を成熟させる学問」にはなっていない。家庭の時間の大半もバラエティー番組とワイドショー化したニュース番組、ネット情報とSNSでの会話に費やされると聞く。こうした時間や情報は、個々人の思考や行動に大きな影響を与える。18歳を成人とするのであれば、学校教育の在り方もメディアの在り方もその見直しが迫られよう。

 明治維新政府の太政官が成人の年齢を20歳と定めて以来の改革と言うが、精神的に当時よりも日本人が「大人」になっているかは疑わしい。例えば、吉田松陰は11歳の時に藩主毛利敬親に山鹿流兵学の兵法書「武教全書」を講義した。橋本左内は15歳の時に『啓発録』を著し、人として大切な「立志・振気・勉学・去稚心・択交友」の5つの価値観を説いた。その他、多くの幕末の志士たちも血気盛んだが、若くして既に一廉(ひとかど)の「人物」であったことが言動や著述からは感じ取られる。

 彼らが大人だったのは常に死と隣り合わせだったこともあろうが、「四書五経」を軸とした「人間としての学問」を修めていたからではないか。それは「修己治人の学」であり、まず自分自身が立派な人間となり、周囲に徳を広め人々を感化し家や国や世界を素晴らしいものにせんとの考えに貫かれている。

 儒学・陽明学の思想は佐藤一斎の『言志四録』に凝縮され、幕末の志士たちをはじめ中村正直、新渡戸稲造、渋沢栄一らにも影響を与える。大切なプリンシプルは洋の東西を問わず共通する。『フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン)、『西国立志編(自助論)』(サミュエル・スマイルズ)などは、明治の偉人や世界中の人々にも大きな影響を与えた。

 これら道徳教育の「源流」とも言うべき書物に学ぶことが、人を大人たらしめる上では大切だ。大人になるためには、善悪様々な価値観と精神的な格闘を経なければならない。それは「言葉」を武器としての格闘だ。洋の東西を問わず、人間の精神に良き影響を与えてきた名著に触れ、そこに描き出された人間洞察の深さ、言葉の重みを鑑(かがみ)として己の言動を省みることが精神を成熟させる。分かりやすく薄っぺらな「良い話」は心に何も残せない。難解でも「本物」を避けてはならない。

 私が10歳から15歳までの子供たちとの教育実践から学んだことは、「子供を子供扱いしない教育」の大切さだ。知識の暗記ではなく、プリンシプルを学び、時事問題に触れ、実社会を生きる大人たちの本気でごまかしのない言葉に触れることで、子供は大人に敬意と憧れを抱く。それが考えや意思を自分の言葉で臆せず語る力を育む。結果として子供たちの顔つきは明らかに変わる。自分の鑑となるような書物・人物との出会いが、子供たちの精神を鍛える。

 18歳を成人とするなら人を大人たらしめる教育が必要だ。「学より徳に入るは平地より高山に登るごとく、徳より学に入るは山頂より麓に下るがごとし。品性は人の主(あるじ)なり、学は人の僕(しもべ)なり」(新渡戸稲造)

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