産経新聞 2018年12月13日

https://www.sankei.com/life/news/181213/lif1812130021-n1.html

 人生は一度しかない。何のために生まれてきたのか。何のために生きるのか。その答えを自分なりに見いだし、世の中に幾ばくかの良き価値を残すことが人としてこの世に生を受けた意味だと思う。そのためには学び働かねばならない。仕事をするためには知識や技術の教育も必要だが、その根幹となる「志を立てる教育」が最も大切だ。

 明確な目的を持ち、主体的に学ぶ姿勢が備われば、一方的に教え込む教育の必要はない。志が立てば、人は自分の人生の使命と意義を深く悟り、世のため人のために多くのものを生み出してやまぬ充実した生き方ができる。立志は向学心や向上心を育み、自立を促し、他者のために生きる人生の契機となる。

 戦乱の世や衛生・栄養状態の悪い社会では理不尽に人の命が奪われる。だからこそ人は何のために生まれてきたのかを強烈に自問自答したのではないか。亡くなった肉親の人生の意味に思いを巡らせ、自分に渡された命のバトンの意味を考える。

 個としての命は、共同体の存続があって成り立つ。それが痛切に感じられるのは、国家が危機に瀕(ひん)したときだ。幕末や先の大戦で、国の未来のために命がけで生きた若者たちの志は、常に人々のため、未来のためにという意識とともにあった。

 先人たちの尽力のおかげで、現代を生きる私たちは、平和と経済的な豊かさと、個人の幸せを享受している。その来歴も知らず、それが「当たり前」となれば感謝の心は生まれない。「ありがとう」の対概念は「当たり前」だといわれる。国や会社や親に「してもらうこと」が当たり前になれば感謝心は薄れ、過度の権利の主張と利己主義が幅をきかせる。人間は自分がかわいいし欲求を満たしたい生き物だ。だが利己主義が行き着くところまで行けば、祖父母や親を殺し、子を殺し、自分を殺すことさえもひき起こす。悲惨な事件を起こさぬためにも私たちは人としての在り方を学び、世のため人のためにという、公の感覚を身につけることが必要だ。それも立志の教育の意義だ。