産経新聞2014年2月8日

http://www.sankei.com/life/news/140208/lif1402080019-n1.html

 バッカーズ寺子屋は今年10期目を迎える。日本の若者の内向き志向が指摘される中、卒塾生たちは高い志を胸に海外を含めた多様な進路に進み、実に頼もしい。

 わずか1年間の学びにもかかわらず、9年たった今でも卒塾生のみならず保護者の方からも卒塾後の成長と活躍ぶりを報告していただけることは大変にうれしい。

 塾生・卒塾生は、東京が約200名、九州が約140名になった。10歳から15歳の多感な時期に、企業のトップたちから直接薫陶を受け、人として大切なプリンシプルを心に刻み、切磋琢磨(せっさたくま)できる生涯の仲間を得た卒塾生たちは、必ず日本の未来に貢献してくれるだろう。手間暇かけた手作りの教育が、一度に教育できる人数は少なくとも、結果として大きく実を結ぶことを実感している。

 卒塾生・保護者との人間的つながりは、私がかつて高校教師として卒業までの3年間で育んだものよりもはるかに強い。これは成績や進学を通して子供を見ず、あくまでも「人として何が大切か」をテーマとした教育をしているからだ。肩書や上下関係で接するのではなく、日本の未来を担う「同志」として、また、共に学ぶ者として、同じ土俵に立つ意識が志縁的集団を作る。寝食を共にし、共に汗を流すことも、互いの信頼と敬愛の心を育む上で大切だ。

 私が高校教師だったとき、生徒を見る目線は常に成績データを介してのものだった。生徒がよく理解できる授業をし、成績を伸ばし、希望の進路に進むことが評価となった。生徒指導も問題行動への対処とそれを未然に防ぐことが主たるテーマだった。生徒と共に良き時間を過ごせたとは思うが、今、実践している教育の方が、「人が人を育てる」という人格形成の手応えは、はるかに大きい。

 かつて森信三先生は、「教師という立場に立てば、クラスの生徒が碁石のように見えて、ともすれば『生徒』という一つの単位になりやすい」と指摘した。人間同士の魂が響き合うような教育は、今の硬直化した枠組みの中ではほぼ不可能だ。グローバル社会を見据え、柔軟に一人一人を人として慈しみ育てる温かさと、鍛える厳しさを持つ学び舎が必要なのだ。

 森先生は教師として生徒をどう見るかを3つの段階で示した。第1は「生徒一人一人を一箇(こ)の生きた魂としてかき抱くこと」、第2は「親の身としてはどんな子供であっても実にかけがえのない大事な子供であると実感すること」、第3は「生徒一人一人が次代の国家を担う大切な一人一人であると骨身に染みて感じること」。私は教育に携わる者は、生徒観、人間観を磨かねばならないと思う。それが日々の実践を左右する。

 これからの時代、子供も大人もお年寄りも、自分の意志で未来を切り開いていくことが本当に大切になる。「何のために学ぶのか」「何のために学校に行くのか」「何のために働くのか」「何のために生きるのか」…答えのない問いに真摯(しんし)に向き合う「価値観を磨く教育」が必要だ。「受験」という「緊急かつ重要な課題」も大切だが、「人格形成」という緊急には対処できぬ「重要な課題」に日々真剣に向き合うことが、結局は学習意欲を高め成績を伸ばす。

 目先にとらわれ、本末転倒した教育の流れを本来の順序に戻し、人生の時間を価値あるものにするために「志の教育」はある。

PDFダウンロード