産経新聞2014年7月5日

https://www.sankei.com/life/news/140705/lif1407050031-n1.html

 毎年6月は、バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋の卒塾の時期だ。1年間の30日ほどの学びを経て、見違えるほどたくましくなった小学5年から中学3年の塾生たちは、堂々と卒塾証書を受け取り、原稿も見ずに、自分の心からの思いと考えをスピーチして巣立っていく。保護者の方からも次のような感想をいただいた。

 《卒塾文集の中で特に印象的だったのは、小学生・中学生の皆さんが、「学ぶ」ということに対して実はとても貪欲であるということです。入塾の動機からしても、ただ単に『おもしろそう』というのではなく、「生きていく上で本当に必要な、実際的な何かを教えてもらえるかも」との予感をすでに持っておられる塾生もいますし、塾生たちを子供扱いせず、ド真剣に指導される塾長やスタッフの姿に魅了され、信頼したうえで、安心して貪欲に自分たちの『知りたい』ことについての学びを深めていったのだということが良く分かりました。

 この年代の子供たちに対して、「人の話をちゃんと聞けない」「スマホやゲームにばかり夢中になって、全く肝心なことを学んでいない」と決めつけるのは、周りの大人たちが、子供たちに対して、彼らが本当に必要とし、欲している課題を与えていないということに過ぎないのかもしれないと大いに反省致しました。彼らが本当に世の中の多くの曖昧な事項に対する正しい判断を必要としたときに、きちんとその指針を示せるような大人でいることが私たちの責任であると痛感しました。どの塾生も、自分の言葉であふれる思いを文章にできていたところがとても良かったです(以下略)》

 社会をより良きものにしようと真剣に働く大人たちの姿と言葉に触れれば、信念のない功利的教育は色あせて見える。教育は「言葉と行動」であり、そこには教育理念と信念とが投影されるからだ。子供は未来を担う存在だと本気で信ずればこそ、敬意をもって子供扱いせず真剣に伝える。それが稚心を去る教育となる。

 今、「ゆとり教育」の反省から再び学校が子供を抱え込む流れに向かっている。だが「ゆとり教育」の失敗は、土日の受け皿が受験勉強を教える場にしかなかったことだ。時代は急激に変化している。グローバル化の進む中で、学校の役割、教師に求められる力、学校を補う制度の確立など本質的な改革こそが急務だ。社会に目を向け何のために学ぶのかに気づいていけば子供は自ら学び始める。

 企業研修でも子供への研修でも課題は「自立心」「目標(志)」「考える力」「聴く力」「伝える力」等を磨くことだ。学校でさしたる目的もなく受け身で「勉強をさせられてきた」子供が、会社で目的もなく「仕事をさせられる」大人になる。一貫して欠けているのは自らの志の涵養(かんよう)だ。

 時代の変革期には、志を持ち、主体的に考え行動する人材が必要だ。幕末には松下村塾や適塾が、大正期には中村春二先生らの自由教育が生まれた。いずれも硬直化した官僚的教育制度で育むことのできない人材を生み出した。急激な時代の流れの中で子供も親も実は「教育」に飢えている。本能的に、「知るための学び」ではなく「生きるための学び」を欲しているのだ。世界の流れと人間の本質を見据え、既成概念にとらわれない教育実践を生み出し続けたい。

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