産経新聞2014年11月15日

https://www.sankei.com/life/news/141115/lif1411150027-n1.html

 実は私たちの現実の世界も一人一人の人間の夢や志によって作られたものだ。学校の建物も、黒板も、靴も、服も、「こんなものがあったらいいな」という人間の「願い」から生まれたものだ。鳥のように空を飛びたいという願いが飛行機を生み、快適に速く移動したいという願いが自動車や新幹線を生み出した。元を正せば人間の「願い」=「夢・志」によって生み出されたものなのだ。そうした夢や志の大切さを、まずは大人が自覚してこそ子供たちも自分の人生と未来とに希望が持てよう。

 この「志を持つこと」と同時に大切なことは「人格を磨くこと」だ。「志」は、決して自分一人では実現できない。多くの人の支えがあってはじめて実現できるものだ。だからこそ「人格の力」が求められる。日本の陽明学の祖、中江藤樹は「貌・言・視・聴・思」の五事を正すことを説いた。吉田松陰は「学は人たる所以(ゆえん)を学ぶなり」と説いた。その源流にある四書五経の『大学』には「明徳」(一人一人が天から授かった素晴らしさ)を明らかにし、世の中を立派なものにしていくことが説かれている。学問の意義は「志を立て、人格を磨き、社会に貢献する」ことなのだ。そうした「学びの精神」を伝えるのも教育者の一つの大きな使命だと思う。

 「志の教育」をテーマに教育実践活動を続けてきた。子供や若者への教育が中心だが企業研修も多い。人事担当者の悩みは「指示された仕事はできるが、自ら考え、主体的に切り開く仕事ができる社員が少ない」ということだ。子供たちの教育課題と全く重なる。

 考えてみれば、日本の学校教育では「何のために学ぶのか」を深く考える機会もなく、とりあえずテストの成績と入試のために「正解を与えられ」「勉強をさせられる」受け身の学びを多くしてきた。そうした子供たちが、大人になって会社に入れば「与えられた仕事をさせられる」受け身の姿勢になるのは無理からぬことだ。

 両者に共通する課題は、何のために学び、働くのかという「志」が立てられていないことだ。仕事にしても、目の前の数字だけを追いかける働き方では、いつかは虚(むな)しくなり疲れ果てていく。仕事を通じてどのような人生を生き、どう社会に役立つかという「志」を立てることが、人生を主体的に元気に生きるためには大切だ。

 ミヒャエル・エンデ原作の『ネバーエンディング・ストーリー』という映画がある。「おとぎの国ファンタージェン」が「虚無」によって滅ぼされていくのを、一人の少年が救うストーリーだ。人間が夢や希望を持たなくなったことでファンタージェンは滅びてゆく。再び新しいファンタージェンを再生させていくのは『果てしない物語』を読んでいた一人の少年の「願い」だ。

 実は私たちの現実の世界も一人一人の人間の夢や志によって作られたものだ。学校の建物も、黒板も、靴も、服も、「こんなものがあったらいいな」という人間の「願い」から生まれたものだ。鳥のように空を飛びたいという願いが飛行機を生み、快適に速く移動したいという願いが自動車や新幹線を生み出した。元を正せば人間の「願い」=「夢・志」によって生み出されたものなのだ。そうした夢や志の大切さを、まずは大人が自覚してこそ子供たちも自分の人生と未来とに希望が持てよう。

 この「志を持つこと」と同時に大切なことは「人格を磨くこと」だ。「志」は、決して自分一人では実現できない。多くの人の支えがあってはじめて実現できるものだ。だからこそ「人格の力」が求められる。日本の陽明学の祖、中江藤樹は「貌・言・視・聴・思」の五事を正すことを説いた。吉田松陰は「学は人たる所以(ゆえん)を学ぶなり」と説いた。その源流にある四書五経の『大学』には「明徳」(一人一人が天から授かった素晴らしさ)を明らかにし、世の中を立派なものにしていくことが説かれている。学問の意義は「志を立て、人格を磨き、社会に貢献する」ことなのだ。そうした「学びの精神」を伝えるのも教育者の一つの大きな使命だと思う。

 先日もある企業の管理職研修で「志」をテーマに2日間の研修をした。定年まであと数年という一人の受講者の言葉が胸に響いた。「私はある時期を境に、目立たず地味に仕事をしていこうと思いました。しかし、今一度、奮起しようと思います」

 志を立てるのに遅いということはない。一人でも多くの方と共に学び、一人一人が充実した人生を過ごせる社会を実現したい。国家を外側から形作るのが政治なら、内側から形作るのは教育だ。教育者にこそ志が求められる。

PDFダウンロード