産経新聞2013年9月21日

http://www.sankei.com/life/news/130921/lif1309210020-n1.html

国際社会で、日本の若者は幼稚だといわれている。政治、経済、芸術、歴史、国家、人生などさまざまな領域において自分の考えを持たず、自分の意見を述べられないからだ。グローバルな時代を生きていく上で、これは日本人の大きな弱点となる。その原因は多くの子供たちが、成人するまで、「正解のある学び」と「同調圧力」の中で時を過ごし続けるからだ。

 子供たちが朝から夕方まで一日の大半を過ごす学校では、小学校から高校まで知識習得の学習が中心だ。膨大な量の読書や実体験を前提とした本格的な口述や論述といった、深い思考力・表現力を要求される学びはほとんどない。つまり、自分の考えをアウトプット(話す・書く)することを目的としたインプット(聴く・読む)ではなく、知識のインプット自体が目的になっているのだ。

 放課後や休日の部活動では、体を鍛え、チームワークや目標管理などを学ぶことはできるが、多くの場合、個々の思考を深める時間にはなっていない。その後の時間帯では、学習塾に行って知識習得の学習をさらに強化するか、習い事をする。それが終わり帰宅すれば、学校や塾の宿題に追われ、息抜きにはゲームやインターネットやSNSやテレビ視聴に時間を費やす。それが日本の多くの子供たちの一日の過ごし方だ。

 これでは物事を深く考え、知的議論を戦わせ、新しい価値を生み出し、心から自分の思いや信念を発信できる人間は育たない。グローバル時代を迎え「魅力ある個」を確立することが喫緊の課題だが、人生の基盤を作る大切な時期の教育環境が、このような構造になっているのは誠に残念なことだ。

日本の多くの若者たちには、古今東西の聖人賢人から生き方を学び、新聞を読んで政治や経済などの社会現象について考え、議論し、行動することへの問題意識は低い。先の参議院選挙でインターネットを使った選挙が初めて解禁されたが、若者たちの投票行動に変化は生まれなかった。社会の在り方や政治にそもそも関心がないのだ。日常の会話の大半は、芸能人、テレビドラマ、ファッション、そして、学校で起きたことの話でしかない。マナーを知らず、無責任な悪ふざけを喜ぶ若者も多い。それが幼稚だとも思わず、狭い範囲での付き合いの中で、みんなと同じ話題について行けるかどうかばかりを気にしている。

 この「同調圧力」こそが、主張することを心理的にためらわせ、個の確立を妨げている。人と違うことを許容せず、さまざまに圧力をかけ、同じでないことを嘲笑・冷笑するメンタリティーは、「いじめ」を生み出す風土そのものだ。

 教育風土を変えるために、人としての善き「プリンシプル」を持ち、評論・批判ではなく、行動する「勇気」を持たなくてはならない。そのためには、まず、自分の考えを発信する者に温かいエールを送り、それを冷やかしたりからかったりする者には窘(たしな)める強さを持つ必要がある。自分自身が公明正大に生き、理不尽に対しては、勇気をもって立ち向かうことが大切だ。

 橋本左内は15歳の時に『啓発録』を著し、「立志の大切さ」と同時に、「稚心を去り」(幼稚な心を捨て去り)、「気を振るう」(恥辱を知り、損得や大勢に流されない負けじ魂を持つ)ことの大切さを説いた。子供を子供扱いしない教育が独立自尊の個を育むと私は信じている。

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