「坂の上の雲」で、日本騎兵の父と呼ばれる秋山好古が、朝鮮に出発するときのシーンを見ていて思った。

秋山好古は、身ごもっている妻に、生まれてくる子どもの名前をしたためた紙を手渡す。半紙には筆で「信好(のぶよし)」「與志(よし)」と書いてある。

好古は、「男なら信好、女なら與志、どうです?」と言う。

妻は無言で好古の顔を見つめている。この時に夫の覚悟を全て悟っているのだ。

「どうです?ええ名前じゃろう」「男でも女でもええけん、元気な子を生んでくれたら、それでええ」「後のことは頼んます」といった後で、二人の間に沈黙が流れる。

この沈黙の時間が語っていることは、

「自分の命は尽きても、命は子どもに受け継がれる。生まれてきた子が俺だ。」ということです。その時代の軍人の妻は、夫を愛し、夫が死ねば、その子の中に、夫の姿を見て愛したのだろうと思います。

そこに命と愛の無限があると感じます。

「信三郎さん(好古のこと)、生きて帰って下さい」と妻は言います。

好古は無言で、目だけが微笑んでいます。もう死んで良いと覚悟を決めているのです。なぜなら、子どもができたからです。

この沈黙は、当時の男と女の価値観を見事に描いていると思います。武人である男は当然、死を覚悟している。帰れないつもりです。しかし、それで良いのです。二人の間には子どもがいるから、それは自分がいるのと同じ。そう思っています。

けれど、妻は夫が生きて帰ることを願います。「あなた」に帰ってきて欲しいと。

夫には軍人としての確固たる考えと死生観があり、妻にも女として母としての確固たる考えがあり覚悟があります。

お互いがそれぞれの思いを理解していること、そして、その価値観は永遠に交わることはないことも知っているということ。それが、沈黙の時間に描かれています。それこそがお互いを深く理解し合っている姿なのでしょう。

翻って、今の時代をどう生きるか。

一つ言えることは、覚悟の大切さです。死への覚悟がないから、新型コロナウイルスでうろたえているのです。死への覚悟は、二度とない「生」を生き切る覚悟と表裏一体のものです。

どのように生き、どのように死ぬのか。自分で考え抜いて、新しい一年を過ごそうと思います。

 

死生 – Vision&Education (goo.ne.jp)