「不倫疑惑の福原愛、「道徳の教科書」に掲載で、保護者がザワッ」
という見出しのネット記事が出ていました。
「疑惑」なのでしょうから、真実はわかりませんし、知りたいとも思いません。他人のプライベートなど特に関心はありません。
ただ、評価の定まらない人間を道徳の教科書に載せるべきではないと思います。福原愛さんのことだけを言っているのではありません、全ての生きている人間は、等しく何が起こるかわからないのです。
スポーツ選手の活躍に学ぶことは多くありますが、それは別に教科書に載せなくても良いものです。いくらでも教材として学ぶことはできます。
人間の評価など、棺桶の蓋が閉まるまでわかりませんし、死後何年か経ってから大きく評価が変わることだってあるものです。
そうした道徳の教科書を編纂している人たちの不見識を残念に思うだけです。
私が常々思うのは、古今東西の偉人の伝記や、世界の名作を読めば、ほぼ道徳教育は事足りるのではないかと言うことです。
現代人の賢しらで、そうした長い歴史の風雪に耐えた作品以上に、人間の真実に迫ることができる現代の話があると思っているのは、人間観が浅くなっている証左だとしか私には思えません。
福原愛さんの不倫疑惑ということよりも、福原愛さんを道徳の教科書に載せていた事の方が私には驚きでした。
驚いたこと – Vision&Education (goo.ne.jp)