生きてきて思うことは、
美しくないものは、
いずれはうまくいかなくなるということです。
人間も神様も、結局、美しいものが好きなのだと思います。
私も、100年、200年、経った時に、美しさを失わないものを、
生きているうちに、生み出すことができたらと思います。
それは、真善美の希求と言うことでもあります。
「真」とは、うそ・偽りでないこと、真実、誠意を意味します。
「善」とはよいこと、道徳的に正しいことの意味を持ちます。
「美」とは、美しいという意味とともに、
よいこと、価値のあること、また調和の状態を表す意味があります。
人間はすべてが善なる存在でも、すべてが悪なる存在でもありません。
両者が混在し、その時々において、光と影が垣間見える存在だと思います。
しかし、やはり、万人から見て、多くの人が美しくないと感じられることは、
美しくないものであり、そこに安住していれば、
いずれはうまくいかなくなるものだと思います。
「動機善なりや。私心なかりしか。」という、
稲盛和夫さんの言葉を日々自分に問い続けることが、
美しくない生き方を避ける唯一の方法なのかもしれません。
真善美 – Vision&Education (goo.ne.jp)