「あきらむ」という古語に、
「諦める」という意味はありません。
正確を期すために、Weblio古語辞典を引用させていただきます。
①明らかにする。はっきりさせる。
「ここもとの浅きことは、何事なりともあきらめ申さん」
[訳] その辺の身近なことは、どんなことでも明らかに説明申し上げよう。
②晴れ晴れとさせる。心を明るくさせる。出典源氏物語 早蕨
「嘆かしき心の中もあきらむばかり」
[訳] 悲嘆にくれていた心の中も晴れ晴れとさせるほどに。
明らかに見るから、
諦めるという次の段階に進むことができるのです。
このことは、ニーバーの祈りを想起させます。
「神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。」
ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)
明らかに見た上で、受け入れるなり、変えるなりを判断していく。
前提となるのは「明らかに見る」ということです。
明らかになるから、心が晴れ、すっきりするという心の動きを
先人たちは理解していたのです。
諦めることは、途中で投げ出したり、
放り出すことではないのです。
さらに、感性的に悩むことも超越できれば、
人生は随分とすっきりしたものになるのかもしれません。
私はまだそこにたどり着けそうにありませんが(笑)。