早いとこコロナ狂想曲が終わらないかなぁと思います。

歴史を紐解くと、ウイルスは時間の経過と共に感染力を増し、弱毒化するもののようです。オミクロン株は、もう、かかってもあまり重症化しなくなっているようです。

ただ、会社に迷惑かけるとか、万一重症化したらとか、色々な心配事が、人々の心を縛っています。メディアは大変だ!大変だ!と大騒ぎし続けるでしょう。でも、もう裏舞台の見える芝居には飽きました。

私は立場上ワクチンは接種しています。もし副作用があって死んだとしても、もう還暦近くなっていますから、特に未練はありません。また、世界人口の増加にブレーキをかけることへの貢献と思わなくもありませんから、いずれにしても大した問題ではありません。

特攻で散華された方や、幕末の若者たちの短命を思えば、もう十分に生きています。彼らに較べて何事も世に残し得ていない私が、自己の生に執着するなど申し訳なく思います。

坂本龍馬が手紙に書いていたように、「運の悪い奴は、風呂場で金玉をぶつけて死ぬ奴だっている」わけですから。私は既に十分運が良かったのです。この世に生をうけたことに感謝しかありません。

増えすぎた種は、何らかの原因で大量死していくことは自然の摂理かもしれません。

ワクチンを売りさばくための陰謀論だとか色々な見方もあるようですが、私にとってはどうでも良いことです。私が大金持ちになれるとは思いませんし、お金儲けでないところに私は人生の意義を見いだしていますから、うらやましいとも思いません。

また、それが陰謀だとしても、陰謀を考えた人たちも、いずれは死んでいくのです。死から免れた人は誰もいないし、人間が考えたことは、いずれ人間が考えたことによって克服されていくものだと思います。また、そうした愚かしさも含めて人類という種は自然の中で生かされているのだと思います。

マスクをしなければならないのは人権侵害だと言う声もあります。私はマスクは嫌いでしたが、今はしています。なぜなら、コロナ禍になって2年間というもの、風邪一つひかなくなったからです。マスクと手指消毒はやはり効果があるのではないかと思いますし、この時代のマナーと考えれば良いと思います。だって、他人の飛沫を浴びるのは、ばっちぃと言えば、ばっちぃので・・・。(笑)

生老病死は天の配剤だと思います。自分の力ではどうにもならないことについて嘆いたり憂えたりすることはやめにして、私は私にできることを全力でやり続けていきます。