「本来人格は知情意の渾然たる統一である。人間の価値は知情意の円満な発達になければならぬ。然るに変則な文明は一般に人格を一方面に編局させて了った。」(『日本精神の研究』)

「知」に偏った教育が、人格を育てなくしてしまったと感じます。しかも、本来の「知」とは、知ること、頭を使って考える事、判断することなどが含まれているのに、「知識の習得」に偏っています。

また、「情」について言えば、潤いある情操、人と相和し、和やかに過ごす人間の情や、自然を愛でる豊かな情緒は失われ、大人も子どもも索漠とした心を抱えたままで、人生の時間を埋めているかのようです。

「意」は意志の力ですが、自分の人生をどのように生きていきたいかという志もないから、人生を切り開いて進んでいこうという意志も意欲も薄弱な若者たちが多くなっています。受験に合格するというだけの意志では、社会を支えていく大きな力になり得ないのは当然のことです。それは利己的意志でしかないからです。

知情意を発達させる教育が失われている以上、私はそれを回復させるための教育を実践していくだけです。

それは組織だった分業体制の教育ではできないことです。自分の人生の全てをかけた全人教育を成し遂げていくしかないのです。自己変革を土台とした教育改革でなければできないことなのです。