人間には、本質的要素としての「徳性」と、付属的要素の「知性、知能・技能」があります。

人間としての思いやりとか感謝とか人助けとかいう徳があって、初めて知識も技能も生かされることになります。

徳性がなければ、折角の知識・技能も人間を不幸にするためにしか使われなくなります。

原子力にしても、その他の科学技術の産物も、間違った精神で用いたならば、大変な不幸をもたらすだけです。

だから、人間の徳性を磨く学問が大切なのだと思います。しかし、それはどこにもないに等しくなりつつあります。

それを私は何とかしたいと思っているのですが、そのためには、先人たちの生き方に学びつつ、自己と深く向き合う、「自反尽己」の精神がなければならないと思います。

「自反尽己」の「自反」とは、矛先を相手に向けるのではなく自分に向けることです。つまり、すべてを自分の責任と捉え、他人のせいにしない生き方をすることです。「尽己」とは、自分の全力を尽くすことです。

こうした生き方の姿勢を身につけ、自己変革していくこと、つまり、自らの徳を高めていくことが、何よりも大切なことで、そのための学問をしなければ、徳性は磨かれていかないと思います。

学校という枠組みの中では、知識・技能は教えられても、こうした言行一致のための学問はできないと思います。道徳教育にしても、知識・技能の教育の枠組みの中にある以上、形骸化するしかないものです。

徳性を教えられるのは、日々、自反尽己しつつ生き、言行一致の努力を重ねている人間でしかあり得ないのです。また、「徳性」こそが本質的要素であり、「知性、知能・技能」は付属的要素に過ぎないとの自覚がなければならないと思います。

ここに教育改革の難しさと本質があるのだと思います。