自民党議員と統一教会の癒着の問題が次第に明るみに出て来ています。私は保守の政治に期待を寄せる者の一人ではありますが、不誠実さを嫌う人間でもあります。また、革新を求める者の一人でもあります。真の保守とは、過去の人々の人生の歩みに敬意を払い、未来への改革を断行する者たちだと思うからです。清濁併せ呑むということと、この問題は違うと思います。多くの政治家たちの「志操」の無さが露呈した。それだけのことです。よく、落選したら何にもならないと言いますが、人を騙し、心を偽って当選した人たちに、人々のリーダーであって欲しくはないと思います。こうした感覚が戦後の日本社会を駄目にしてきたのだろうと思います。

やはりプリンシプルなき日本の社会に大切なのは、次の言葉を身につけていくことだと思います。

バッカーズ少年教育十原則
1.ウソごまかしをしない。誰が見ていなくても、お天道様が見ている。
2.自己責任とは。人のせいにしない。自分の判断力と決断力を持とう。
3.よく働き、よく学び、よく遊ぶ。良い競争心を持とう。
4.感謝心を持とう。
5.人に迷惑をかけない。良いマナーを持とう。
6.自分に厳しく、人に寛大に。(その逆の、自分に甘く人に厳しい人は本当にカッコ悪いよ。)
7.人のためになろう、国のためになろう、世界のためになろう。
8.いつもユーモアの心を持つ。
9.人をタイトルや外見や名前や住んでいるところで見るのではなく、いつもその本人で見よう。本物とは何のことか考えよう。
10.国際人とは何かを考えよう。自分の国を愛し、他の国の人とも本当の友達になれ、他人のことも考えられるのが国際人だ。

私は基本的に他人に敬意を払うことを大切にしています。しかし、気がつけば、何と敬意を払うに値しない大人たちが、それらしいことを言い、それなりの立場にいて、日本の社会を作っていることか。

白洲次郎の言った「プリンシプルの無い日本」は、今に始まったことではないのかもしれませんが、何とかしなければ、日本という国が沈んでいく危機感を覚えます。

私にできることは、ささやかなことでしかありませんが、まずは自分自身が、「バッカーズ少年教育10原則」というプリンシプルを体現できる人間になれるよう、努力を重ねていこうと思います。小さな事に心を込めて全力を尽くせる人間でありたいと思います。