子どもが生きる道に迷い、道を踏み外しそうになった時に、最後の命綱となるのは、母の必死の思いだと思います。何とかして、人としてまっとうな道を歩かせたいという祈りにも似た、心からの願いです。しかし、そうした思いも無く、更には子どもが溺れかけていることにも気づかなければ、どうしようもありません。親として、自分の力が及ばなければ、人の助けを借りても良いわけです。ただ、そこには誰よりも必死の思いがなければならないのは言うまでも無いことです。自分の事を先にしか考えられなくなったり、自分の体裁を取り繕う方が先になっていては、第三者にはどうしようもありません。私は諦め悪く何とかしたいと思う人間です。なぜなら、どんな子でも、やがては日本の国民の一人として、社会人になっていくからです。一人でも立派な社会人が多い方が、国力が高まり、ひいては、個々人が幸せに生きられる確率が高まると思うからです。ただし、私のやっていることも大したことでは無いと思っているので、求められなければ、余計なことをするつもりはありません。それでも、色々な失敗を繰り返し、自らの在り方を深く顧みる日が来て、立派な社会人となっていくことも多々あるからです。