経済的に豊かな家庭の子どもたちの問題を色々と感じることも多くなりました。下村湖人の次の言葉が心に響きます。

「甘い教育によって、いろいろの自由を与えられた子供たちは、将来最も不自由な人間に育つであろう。なぜなら、彼らは、自由の最大の基盤である反省力と意力とが奪われるであろうから。」(『心窓去来』)

自由であるためには、自分が集団の一員としての責任を果たすことをしなければなりませんし、自分の意志とそれに基づく行動が、多くの人たちに受け容れてもらえるものでなければなりません、わがままであれば、世間様から非難を浴びるだけです。それを自分のせいでなく他人のせいだと思うようであれば、様々な価値観を持つ人たちと、うまく仕事をしていくことなどできはしないと思います。

また、経済的に豊かだからといって、食べ物の好き嫌いをしたり、平気で何の痛みを感じることなく食べ物を残すようでは、これまた人としてきちんと育つとは思えません。これについても、下村湖人は的確な言葉を遺しています。

「一粒の米や、一滴の水を大切にする倫理の滅びて行く時代には、行き届いた愛情も、緻密な計画心も、厳しい責任感も、育たない。およそ磨きのかかった人間の魂というものは、小さなものに対する畏敬の念のないところには、決して育つものではないのである。」(『心窓去来』)

なぜ、わがままに育ててはならないのか。ここにその答えはあります。そして、厳しく躾けるためには、それと同等以上の慈愛に満ちた親子の時間を過ごさなければならないことは言うまでもありません。厳しいことを言うようですが、残念ながら、これだけはアウトソーシングしたり、効率的に省エネでというわけにはいかない部分だと思います。そして、仕事が忙しくても、省いてはならないところだと思います。