産経新聞2017年10月11日

https://www.sankei.com/life/news/171011/lif1710110011-n1.html

子育て、学校教育、ビジネス、あらゆる場面で、私たちは目先の忙しさに追われ、往々にして本質的な課題解決を先送りする。それを乗り越えるためには、全体を俯瞰(ふかん)し、「そもそも論」に立ち返ることも大切だ。

そもそも何のための「教育」かといえば、それは一人一人が立派な人間になり、より良い社会を作り、多くの人と共に幸福な人生を生きるためだ。だからこそ世界を知り、日本を知り、その中に生きる自分の強みを知り、どのように生きるのかを考える「志の教育」が大切だと思う。将来の目的が明確になったとき、人は初めて主体的に学ぼうとする意欲を持つからだ。

また、そもそも「教育」の具体的中身は何かといえば、親や教師、一人一人の「言葉と行動」であり、それらは個々人の「考え方」から生み出される。「考え方」も「言葉」によって形作られる。ゆえに教育において大切なことは、良き「言葉」を獲得し、良き「考え方」を身につけていくことだと思う。

「言葉」の獲得方法はおおよそ3つある。1つ目は「人」から、2つ目は「書物」から、3つ目は「体験」からだ。より良い教育を実践するということは、まず良き大人、良き先輩後輩との出会いを数多く作ることだ。次に読書を通して先人の生き方や考え方に触れ、自分の考え方の土台となる言葉を手に入れることだ。そして自然体験や社会体験、海外留学等を積極的に行うことだ。体験を通して自ら悩み、考え抜いた末に掴(つか)んだ言葉や、感動を通して得た言葉は自分という人間の核となる。

私が10歳から15歳までの子供たちをバッカーズ寺子屋という学び舎で13年間教育してきて実感していることは、この3つを体系的に形にしていけば、大きな教育的成果が得られるということだ。これは私が高校教師を続けていれば、絶対に気づくことのなかった教育方法だ。わずか年間30日程度の教育日数で驚くほど子供たちは人間的に成長する。この学びの場に関わらせていただいた者の責務として、私はこの教育方法をさまざまな形で社会に還元していきたい。

かつて私は「ゆとり教育」「学校週5日制」の反対論者だった。受け皿のないまま学校で学ぶ時間を減らせば、塾や予備校通いに拍車がかかるのは目に見えていたからだ。その一方で塾や予備校に行けない子、行きたくない子の学力は低下し二極化が生じることも予測できた。

しかし、今、私はあえて「学校週5日制を」と言いたい。バッカーズ寺子屋の経験から、学校だけに頼らない広やかな教育システムを作ることができると確信するからだ。月に2日程度、週末に学校や学年を越えた仲間と、企業や地域の人から、国際社会の姿・働く意義・志の大切さ等について学ぶ機会を設ける。平日は学校で基礎・専門教育を受ける。学校と寺子屋の教育を車の両輪とした教育システムを構築すれば、目的を持って学校に通う子供たちも増えるだろう。同時に学校が抱え込み過ぎた教育課題も軽減できる。

大切なことは、教育を一過性のイベントにしないことだ。社会人の講話も、企業訪問も、自然体験も、一貫して一本の軸(理念・目的)で貫くことが効果を生む。また「体験活動」と「言語活動」とを不可分のものとして実施することも大切だ。何よりプログラムの一つ一つに関わる大人たちが、凄(すさ)まじい情熱と真剣さで取り組むことが子供たちの心に響き成長を促す。

教育問題は批判や評論をしていても何も解決はしない。真剣な教育実践から掴み取ってきた信念と成果とを一つでも社会に遺(のこ)したい。

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