産経新聞2013年2月16日
http://www.sankei.com/life/news/130216/lif1302160017-n1.html
「志の教育」を実践し、多くの子供たちや若者たちが「生きる」ことに真剣に向き合い、生き生きしていく姿を見るのは何物にも代えがたい大きな喜びだ。「志」の大切さを伝えるためには、まず「志とは何か」を伝えることが大切だ。「志」と同じような意味を持つ言葉に「夢」がある。講座の開始時に「夢と志はどう違うのか」に触れ、「ビジョン」をつくることの大切さも伝える。
その第1の違いは「考え抜き、信念に基づいているか否か」ということだ。「私の夢ははかなく消えた」「そんな夢みたいなことを言ってどうする」とは言っても、「私の志ははかなく消えた」「そんな志みたいなことを言ってどうする」とは言わない。つまり、夢は実現可能なものも指すが、思いつきや誇大妄想的なものをも含んでいる。夢の語源は、寝ているときに見る「寝目(いめ)」が、平安時代に「ゆめ」に転じたもので、元来、はかなさを比喩的に表す語であった。将来の希望を指す語として使われ始めたのは明治以降だという。私たちの先達は、心が指し示す(心指す)方向にしっかりと歩んでいくことを、「志」と言ったのだ。
第2の違いは「人々のため、社会のためであるか否か」ということだ。「私の夢は将来10億円の豪邸に住むことだ」とは言えても、「私の志は将来10億円の豪邸に住むことだ」とは言えない。つまり「夢」は私的なものであっても構わないが、「志」となれば、人々のため、社会のためといった「公的」なニュアンスを含む。人々の役に立つことをミッションとし、わが喜びとする生き方は人として素晴らしい。人生を大いに「志高く」生きたいものだ。
一方で夢は夢として大切だ。なぜなら誇大妄想であろうと、私的なものであろうと、「できたらいいな」とワクワクすることは人間の活力と進歩の源だからだ。途方もない楽しい夢を大いに持てばよい。だが、ぼんやりした夢を、実現のための努力もせず思い続けていても、無為に時を過ごし、夢ははかなく消えるだけだ。夢の実現のためには、自己の適性を理解し、努力によって能力を磨き続ける必要がある。また、実現のための具体的目標を常に掲げねばならない。だから、ビジョンを作ることが大切なのだ。会社の事業計画のように、いつまでに何を実現するのか。予算はいくら必要か。何人必要か。期日・予算・人員などの数字を入れ、言語化、イメージ化することで夢は具体性を持ち実現へと近づく。
これまで私たちは、無責任に「夢を持とう。夢は必ずかなう」「努力をしよう。努力は必ず報われる」と教えてこなかったか。フリーターやニートの出現は、そうした大人の無責任な物言いを反映してはいないか。金メダルを目指して必死の努力をしてきた選手が、銀メダルになったのなら、正確にはその選手の努力は報われなかったのだ。だが、その努力も悔しさも人生においては決して無駄ではなく、素晴らしい価値を持つ。ならば、私たちは「懸命にやっても報われない努力もある。だが、無駄な努力は一つとしてない」と正確に語るべきだったのではないか。夢や志についても同じだ。「夢を持とう。そして、ビジョンをつくり、夢を志に高めよう。そのためには、自分を磨き続けなければならない」。そう語る必要があるのだと思う。「志を立てて以(もっ)て万事の源と為(な)す」(吉田松陰)。先人は実に「志」の大切さを揺るぎなく語ったものである。
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