産経新聞「解答乱麻」2013年5月4日

http://www.sankei.com/life/news/130504/lif1305040018-n1.html

多くの経営者の方々とともに寺子屋での教育を実践していて痛感することは、「正解のない問題にどう向き合うか」を学んでほしいということだ。実社会に出れば私たちは、「未知の正解のない問題に対して、複数の解決法を考え、その一つを選択して実行する」ことが求められる。仕事においても人生においても、自分の判断力と決断力を持つことが大切だ。個人の問題として考えれば、「志を立てる」ということもその一つだ。「なぜ生まれてきたのか」「なぜ生きるのか」に正解などない。「自分が何にチャレンジしたいのか」「自分の適性はどこにあるのか」「自分に不足している力をどう補うのか」といった問いと向き合い、考え抜き、意思決定し、行動したことが答えとなるだけだ。

子供や若者たちにそうした「考える学び」ができていないことは、一人一人にパブリックスピーキングをさせてみれば一目瞭然だ。雑談や他人の意見に批判をすることは簡単でも、自分の意見や考えを人前で語るのは大変だ。経験と信念がなければ言葉は力を持たない。話す場に立たされて初めて人は、自分の中に語るべきものがあまりにも乏しいことに気づき愕然(がくぜん)とする。しかし、その「気づき」こそが、人生を主体的に生きるための学びの始まりとなる。

「話す力」を身につけるには、暗記して答えられる問題や、一つの正解しかない問題を解く形式ではない学びと訓練が必要だ。また、話すことには、信念、志、熱意、感動、正直、誠実、思いやり、謙虚さ、気配り、ユーモア等々、人間性そのものが反映される。だからごまかしがきかない。自分の考えを持たず、借り物の言葉で話しても人の心には響かない。原稿に頼れば、それは聴衆ではなく紙切れに向かって話すにすぎず、原稿を丸暗記すれば、それは自分の記憶と対話しているにすぎない。目の前の聴衆を尊重しない話など、相手の胸に届くはずもない。

私たち大人のメッセージは、子供の未来を考え、自らが厳しく生きてきた過程で紡ぎ出された、心からのものだろうか。そこに信念や愛情は本当にあるのだろうか。相手の心に届くだけの言葉の力を持たなければ、あらゆる教育は形骸化する。教育に携わる者は、自分自身が答えのない問題に真摯(しんし)に向き合い、その結果として、子供の心に届く言葉を持つことが大切だ。

グローバルな社会を生きていくためには、深く考え、自分の意見を述べ、相手の心に伝わる話ができるようになることが必要だ。よく「中高6年間かけて英語を学んでも話せないことが問題だ」とされているが、同様に「小中高12年間かけても母国語で自分の考えや主張を述べたり、多様な価値観を受容し、議論するスキルとマインドが身につかぬことの方が大きな問題だ」と言えるのではないか。

結局、それらは大人の言葉が磨かれてこなかったことによるものではないか。吉田松陰は、世界情勢の今を語り、日本の危機を語り、その中で一人一人が何をすべきかを問うた。だからこそ若者たちに学びへの強烈な欲求が生まれたのだ。

大人も子供も、体験を重ね、そこから得た「気づき」を「言語化」し、さらにそれを別の事柄に「関連付け」していく学びが、正解のない問題の答えを見いだす力を育む。教育現場における、「学び方」そのものの変革が、今、必要なのだ。

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