産経新聞2016.5.4

https://www.sankei.com/life/news/160504/lif1605040021-n1.html

 バッカーズ寺子屋では、10歳から15歳の子供たちと年間30日ほどを共に学ぶ。第1講座では、受け身でない「話の聴き方」を伝える。この「聴く力」を高めることこそが、「話す力」や「書く力」、そして「思考力」を飛躍的に伸ばす。

 ただし、「話の聴き方」が、本当に塾生の身につくのは、何度もスピーチの経験をした後だ。スピーチといっても原稿を書いて読むのではない。何も見ずに、テーマに沿って自分の考えを伝え、思いのこもったスピーチができるよう訓練する。

 塾生たちは話す立場に立ってみて初めて、聴き手のアイコンタクト、頷(うなず)き、メモを取る姿、意識を真っすぐに向けている姿勢、温かな笑顔などが、どれだけ話し手を支え励ますものであるかに気づく。その自覚が「話の聴き方」を大きく変える。

 例えば、合宿の解散式やスピーチコンテスト等で、後方に座る保護者の一人が話し始めると、二十数人の塾生たちは瞬時に話している方に体を向け、真剣に話を聴き始める。その集中した空気感は入塾時には見られないものだ。話すことの大変さが分かればこそ聴き手に回った時に、話し手以上の真剣さで聴こうとする。

 また、講話を聴けば、必ずその場で、感想・質問・意見を求められるので、考えながら聴くこと、発言の材料となるメモを取ること、集中して聴くこと等の力が身につく。「話の聴き方」が変われば知的な吸収力そのものが変わる。単純だが日本中の子供たちの「話の聴き方」を変えられたら、それだけで大きな実りある教育改革となる。

 その実現のためには「聴くこと」と「話すこと」は表裏一体のものであることを教師が熟知していなければならない。良き聴き手を育てるのには、話し方の指導も重要な意味を持つ。その指導力は教師自身が自分の考えと哲学を磨き、高い伝える力を持つことで初めて得られる。

 日本の学校教育では多くの場合、一言一句、スピーチ原稿を書いて話すよう指導される。だから、スピーチが「書き言葉を読む」か「暗記して話す」ものになる。それでは思いは相手に伝わらない。前者は紙を相手に話しているにすぎず、後者は自分の記憶と対話しているにすぎないからだ。

 目の前の聴き手の心に直接自分の考えや思いを伝えるためには、日頃から整理し練り上げておかねばならない。そのためには常に疑問を持ち自分の知識や体験と関連付け、攻撃的に話を聴くことが必要だ。また「感じたこと・気づいたこと・学んだこと」を反射的に言語化する訓練を積み重ねることも大切だ。

 こうした「聴くこと」「話すこと」の指導は人間教育そのものだ。他者のスピーチに対する反応は、言葉に対する反応であると同時に、人間の心の在り方に対する反応でもある。価値観の異なる多様な意見を受容することができるか。緊張して頭が真っ白になって言葉が出せない仲間をどう応援するか。つらい過去と向き合って発している仲間の真摯(しんし)な言葉をどう受け止めるか。さまざまな心の持ち方と反応の仕方が問われる。成長のためには、誠実な言語空間の共有が必要だ。異なる意見への冷笑や無視による同調圧力が幅をきかせたり、面倒だからと思考停止し、「同じです」としか発言せぬような空間では、互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、より高次な自己の考えを確立することはできない。

 日本の社会をより良きものにするために、誠実さ・信念・熱意に溢(あふ)れた言語空間を一つでも多く創りたい。言葉こそが心であり人間であり社会であり、そして教育だと思うからだ。

 その実現のためには「聴くこと」と「話すこと」は表裏一体のものであることを教師が熟知していなければならない。良き聴き手を育てるのには、話し方の指導も重要な意味を持つ。その指導力は教師自身が自分の考えと哲学を磨き、高い伝える力を持つことで初めて得られる。

 日本の学校教育では多くの場合、一言一句、スピーチ原稿を書いて話すよう指導される。だから、スピーチが「書き言葉を読む」か「暗記して話す」ものになる。それでは思いは相手に伝わらない。前者は紙を相手に話しているにすぎず、後者は自分の記憶と対話しているにすぎないからだ。

 目の前の聴き手の心に直接自分の考えや思いを伝えるためには、日頃から整理し練り上げておかねばならない。そのためには常に疑問を持ち自分の知識や体験と関連付け、攻撃的に話を聴くことが必要だ。また「感じたこと・気づいたこと・学んだこと」を反射的に言語化する訓練を積み重ねることも大切だ。

 こうした「聴くこと」「話すこと」の指導は人間教育そのものだ。他者のスピーチに対する反応は、言葉に対する反応であると同時に、人間の心の在り方に対する反応でもある。価値観の異なる多様な意見を受容することができるか。緊張して頭が真っ白になって言葉が出せない仲間をどう応援するか。つらい過去と向き合って発している仲間の真摯(しんし)な言葉をどう受け止めるか。さまざまな心の持ち方と反応の仕方が問われる。成長のためには、誠実な言語空間の共有が必要だ。異なる意見への冷笑や無視による同調圧力が幅をきかせたり、面倒だからと思考停止し、「同じです」としか発言せぬような空間では、互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、より高次な自己の考えを確立することはできない。

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