産経新聞2016年9月28日

https://www.sankei.com/life/news/160928/lif1609280017-n1.html

 警察庁のまとめでは平成28年上半期の児童虐待が初めて2万人を超えたという。河川敷で16歳の少年が殺害された事件のみならず、子供から高齢者までが心を制御しきれずに人を殺(あや)めるという痛ましいニュースはもはや珍しくさえなくなった。事の善悪を理性的に問えば、おそらく当事者を含め百人中百人が「良くないこと」と理解しているはずだ。必要なのは知識や理性の教育ではなく人間を人間たらしめる「情緒の教育」だ。子供の事件は人を愛する心や人を信じる心を育めなかった周りの大人の心の問題であり、今の社会をつくってきた私たちの問題だ。

 一個の人間の「人となり」は、「言葉と行動」によって具現化される。そこには一人一人の「考え方」が反映される。意地悪な考えは意地悪な言葉と行動を生み、思いやり深い考えは思いやりのある言葉と行動を生む。その考え方もまた「言葉」によって形成される。「人・本・体験」の3つの切り口から私たちは「言葉」を獲得し自己の考え方を形成していく。

 人間は良き言葉と体験を授けられなければ「獣性」がその人を支配する。教育の役割は人間の「獣性」を抑止し「真善美」という良き価値に人を近づけていくことだ。そのために大切なことは世界的数学者、岡潔先生言うところの「悲しみがわかる心」を育むことだ。岡先生はお伽噺(とぎばなし)「魔法の森」に「なつかしさ」という情操を教えられ、「琴の由来」に「憎しみがなぜいけないのか」を考えさせられ、物語「鶸(ひわ)の行方」に「正義心や慈悲心」を体得したと述べている(『情緒の教育』)。

 皇后陛下が第26回IBBY(国際児童図書評議会)ニューデリー大会の講演で紹介されたのも「でんでんむしのかなしみ」や「倭建御子と弟橘比売命」の物話、ケストナーの「絶望」という詩、ソログーブの「身体検査」という物語だった。共通するのは「悲しみ」だ。

 今の日本で「悲しみを感じる読書体験」は子供たちにどれ程授けられているのだろうか。楽しさや面白さ新奇さを表現したものに偏ってはいないか。また、私たち大人は、子供の読書の意義をどれ程深く理解し、ぜひ、読ませたいと願う「悲しみを感じる作品」を心に持っているだろうか。「よぶこどり」をはじめとした浜田広介の作品群、「ごんぎつね」や「でんでんむしのかなしみ」など新美南吉の作品群。オスカー・ワイルドの「しあわせの王子」などはぜひ読ませたい作品だ。

 「よぶこどり」は、実の親でないリスに育てられた小鳥の深い悩み、実の親以上のリスの深い愛、子供との別れの悲しみ、子供の帰りを待ち続ける親心などを「呼子鳥」の名前のいわれに込めて描いた名作だ。繊細な心の動きが美しい季節の移ろいとともに描き出され、自然の中に生きる私たち日本人の「心のふるさと」を感じさせてくれる。優れた自然描写は、私たちの自然体験をより豊かなものに深める。優れた心理描写は私たちが直面する困難や悲しみを乗り越える大きな支えとなる。

 直接体験に深い意義を付与してくれるのは「言葉」であり、間接体験としての「読書」だ。美しい星空を見上げた時に「あぁ、美しいなぁ」と「言葉」にする誰かがいて、さらにそれが文学作品に描かれた美しい描写と結びつけば、心に与える影響はより深いものとなる。

 繊細な文学は、喜びや悲しみをはじめ人間のあらゆる感情と価値観に思いを巡らせる土台を作る。美しい情緒を育み、無慈悲な事件をなくすためにも、悲しみを知る「情緒の教育」を意識した教育実践を続けたい。

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