子どもの頃、貧しかったけど、母の笑顔、父の笑顔がありました。祖父母の笑顔もありました。親戚の訪問もありました。家の前には田んぼが広がり、春にはレンゲソウ畑になり、用水路には魚たちが泳いでいました。貧しかったのに、慈愛に満ちた家庭には笑顔があふれていました。

いつからなのでしょうか。人情酷薄な社会になってきたのは。いや、そうなったのは、社会では無く、一人一人の心の中なのでしょうか。それとも、私だけがそう感じていることなのでしょうか。

「銀も金も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」

万葉歌人 山上憶良の歌です。かつて子は宝だったのです。銀や金や宝石よりも価値あるものだと、遠い昔の先人たちは思っていたのです。その心を忘れないようにしたいと思います。

今日は小郡寺子屋志学舎」の第2回スピーチコンテストでした。入塾して14回目の講座でしたが、塾生たちの大きな成長を感じました。欲を言えば、テーマを踏まえた着地ができた塾生が少なかったということを感じましたが、それでも「日本の未来」という大きなテーマを自分事として捉え、誰も原稿を読むことも無く3分以上の時間を話しきってくれました。これは、今までの講座での学びによって、少しずつ自分の考えが確立されてきたことを意味していると感じました。これが日本の小中学校教育のスタンダードになったら良いのになぁと思いました。それには、一人一人を見るということが大切であり、指導する側が自分の考えを持ち、塾生の考えを包含する広やかな心を持たなければならないと思いました。保護者の方からもコメントをいただきましたが、「子どもたちを尊敬する」旨の言葉を多く伺うことができました。親が子を尊敬すれば、子も親を尊敬します。親が子に自分から挨拶をすれば、子も親に挨拶をするようになります。今日は、「敬」という心の在り方を垣間見ることができました。親も子も共に学び、楽しく成長できる場でありたいと思いました。そうならないようにするためには、タイミングを間違えないように次のアクションを起こすことが大切です。「何のために」という目的意識をしっかり持っていれば、何をすべきかという判断を間違えることは無いと思います。自己保身のための、下らないプライドや、迷いという名の優柔不断さは何も生み出すことはありません。自分ではなく、周りの人たちのことを優先に考えれば良いだけのことです。