「やっている人間」と「言っているだけの人間」の何が違うかと言えば、「責任ある姿勢」だと思います。

メディアは言っているだけです。政治についても、医療についても、外交についても、教育についても、色々と言いますが、それをやって責任をとることはありません。

せめて報道していること=言っていることについての責任はとって欲しいものですが、それもできないようです。言ったことで引き起こされた結果については、知ったこっちゃないと思っているか、結果については見ようともしないかだと思います。

教育も似たところがあります。先生は、進路についてや、色々な人の生き方について、社会のルールや厳しさについて、色々な事を教えますが、それをやっているわけではありません。なぜなら、先生は学校という閉ざされた社会にいなければならないからです。

かつて学問は、知識を身につけ試験に合格するためのものではなく、どうすればりっぱな人間になれるか、そして、立派な行動ができるかを身につけるためのものでした。

立派な人間とは、言行一致する人間であり、義(私利ではなく公利のために力を尽くす)に生きる人間だと思います。

先人に学ぶことを忘れた国民がどうなるかという壮大な実験結果を、そろそろ私たちは直視させられているのかもしれません。

その流れに棹さすのが私の役割であり、そのための行動を生み出し続けます。

責任 – Vision&Education (goo.ne.jp)