子どもの教育に悩む親御さんは多いものです。それは、ごく自然なことでもあります。良くあって欲しいと願えば願うほど、悩みは深くなります。

しかし、かつては無学文盲な親の元でも、立派に子どもは育っていたものです。また、一時的に、道を踏み外したとしても、復元力があったと思います。

子どもを愛すれば良い。ただそれだけなのですが、愛すると言うこと一つ、それはどういうことかを考えると、実に奥深いものでもあります。

やれ、学歴だ、年収だ、世間体だ、見栄だ、なんだかんだで、すっかり子どもの心が歪んでしまうように育てている親が多くなっていることを感じます。悲しむべき事です。

人格形成においては、「つの付く歳まで」が大切ですから、なかなか取り返しが付かなくなることも多々あります。(本気で子どもに向き合えば、いずれは取り返せると私は考えていますが。)

もっとおおらかな気持ちで向き合うことが大切なのですが、自分という人間の未熟さに気づかない親にとっては、なかなか上手くいかないものです。なぜなら、自分の言動に問題があることに気がつかなければ改善は覚束ないからです。そうした方は、他人のアドバイスに素直に耳を傾けることもできませんから、事態の改善は困難です。

社会人として立派にやっていることと、親として立派にやっていることとは違います。だから、社会的地位のある人であればあるほど、自分と同じように育てたいと思い、子育てを間違う人も多いものです。

また、子どもの問題は、親の問題であり、夫婦関係の問題であったり、家族関係の問題であったりもします。自分の未熟さを自覚し、自分自身を変えることが、子どもを成長させることだと本気で思わない限り、そう簡単に改善できるものではありません。

私と縁あって出会った方で、お困りのことがあれば、いつでもお気軽にご相談下さい。

私に解決できるかどうかはわかりませんが、いつでも共に苦しみを背負う気持ちはあります。何か改善の糸口が見つかるように力を尽くします。

とにかく子どもたちのためには力を尽くします。