コミュニケーションが不足すれば、それぞれが勝手な思い込みに陥ります。
コミュニケーションが不足する原因は、家族のことであったり、仕事のことであったり、健康のことであったり、お金のことであったり、人それぞれ、様々なことに意識を引っ張って行かれることによります。
私も長期的ビジョンを考えたり、講座内容や研修内容を考え抜いていると、自然と会話は減っていきます。
また、人の表情を見ていて、色々心配しながら、当面は、できるだけそっとしておこうと思うこともあります。
その時に、自分が自分に対してネガティブな評価をする人であれば、他人が、ネガティブに自分を見ていると思い込むことになるでしょうし、
自分が自分に対してポジティブな評価であれば、あまり気にもならないか、気になれば気軽に質問でもしてみようということになるだろうと思います。
私は人に対してネガティブな感情を持たないと決めています。だから他人に対して声を荒らげるというようなことはまずありません。
勿論、塾生たちは成長の為に、時として叱る必要がありますから別です。笑
それが良いかどうかはわかりません。ただ、膨大な仕事と日々格闘していますから、情けないことに、気が回らないことや、できないことがたくさんあります。
私がやっていることに対して、四つの事務局があります。私の能力では残念ながら、全てに完璧に対応していくことは厳しいので、日々、助けてもらっていることには感謝しかありません。
何かあれば、私は、申し訳ないという思いが先に立つので、最後は自分で何とかしようというところに行き着くだけです。最終的な責任は、全て私にあるからです。
私は、24時間、365日やると決めてやっていますから、それでも力及ばなければ、あきらめるしかありません。
ここで言う「あきらめる」とは、古語「あきらむ」であり、物事をはっきりと見定めていくということ以外の意味はありません。
自分をあきらめたり、人をあきらめたりということではありません。
はっきりと見定め、どうするかを粛々と決め、実行していくだけです。
- 投稿タグ
- 木村貴志ブログ