苦しいとき、辛いとき、悩んだときに、私を支えてくれるのは、先人の言葉たちです。
吉田松陰先生の言葉、森信三先生の言葉、中江藤樹の言葉、下村湖人の言葉、孔子の言葉、etc.
多くの言葉たちが、私を励まし、私を支えてくれます。
多くの人たちは昔の本を古臭いからという理由で、読まなくなっていると感じます。
また読みづらいからというのも理由だと思います。
では、いったいどんな言葉に皆は支えられているのだろうかと訝しく思うのは、余計なことですが、命がけで生きた先人たちの言葉は実に揺るぎなく、心の極北となるものだと思います。
私は先人たちの言葉に学び続けたいと思います。
の働きが失われたことが、社会に様々な問題を引き起こしているのかも知れません。私は、そう感じています。
『論語』に次の一節が見られます。
「今の孝は、是れ能く養ふことを謂ふ。犬馬に至るまで、皆能く養ふことあり。敬せずんば、何を以て別たんや。」
(訳)「子遊が孝についてたずねた。孔子が言った。「このごろの孝は、衣食などを整えて、親を十分に養うことをさしている。しかし、人間は、犬や馬でさえ食物を与えたりして、これを十分に養っている。もし親を敬う心が欠けていたら、犬馬を養うのとどうして区別できようか」と。
大人にも子どもを敬う気持ちが必要です。なぜなら、子どもたちは、未来を担う大切な人財であり、私なんかより、はるかに立派な人間になる存在だからです。
両親や祖父母を敬う気持ちも大切ですし、お年寄りを敬う心も大切だと思います。人生の先輩方であり、その方々のご苦労の上に、今の自分は存在していると思うからです。
今が未熟だとか、今が歳を取って忘れることが多かったり動作が遅いから、敬えないと思うのでなく、自分の心の中に「敬」の心を持ち続けることが大切なのだと思います。
互いに人を敬う気持ちがないから、人を見下したり、虐待したり、いじめたりということが、頻発するように思います。
男女の間にも相手を敬う気持ちがなければ、家庭も安定しなくなっていくと思います。
「敬」という概念があれば、人を殺したり、いじめたりは出来ないはずです。
古臭いと言われようとも、私は「敬」という考えを大切にしたいと思います。
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