産経新聞2016年7月20日

https://www.sankei.com/life/news/160720/lif1607200027-n1.html

 河井酔茗(すいめい)の「ゆずり葉」という詩がある。以前は小学6年の教科書に掲載されていた。新しい葉ができると入れ替わりに古い葉が落ちる「ゆずり葉」と、世代をつなぐ私たちの人生とを重ね合わせて書かれた美しい作品だ。「…幸福なるこどもたちよ、おまえたちの手はまだ小さいけれど-。世のおとうさんおかあさんたちは、何一つ持っていかない。みんなおまえたちに譲っていくために、いのちあるものよいもの美しいものを、一生懸命に造っています…」。胸に迫る思い溢(あふ)れる言葉だ。

 また司馬遼太郎は、生涯を通じて一編、子供たちのために『二十一世紀に生きる君たちへ』という作品を書き遺した。「いたわり・他人の痛みを感じること・やさしさ」などの大切さにふれ、「私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた」と心からの言葉で結んでいる。次代を担う子供たちへの温かいまなざしに充ち満ちている。こちらも小学校の教科書に掲載された。

 この2つの作品は、確かにわかりやすい言葉で書かれているから小学校の教科書に収録された。しかし、そこに込められた思いや哲学は、実に奥深く、重々しく、真っすぐで強いものであり、小学生が簡単に解(わか)るようなものではない。作品の意味を本当に心から理解できるのは、おそらく人生も後半にさしかかった頃であろう。

 しかし、それでも私はこうした「大人たちの思い」に、小学生の頃に出合っておくことが大切だと思う。なぜなら、その時に理解できなくとも、その言葉との出合いは時を経て意味のあるものに変わっていくからだ。

 教育において大切なことは、伝える側の大人が、社会のことや人間存在についての深いまなざしを持っているかどうかだ。それが浅薄なものであれば、浅薄な教育しかできない。大人の視野の広さと思考の深さが、教育の広さと深さとを決める。

 我が国も18歳から選挙権を行使できることとなった。学校で行われる主権者教育のあり方でも、やはり問われるのは大人の成熟した考えであり、それを受け止めるだけの子供の理解力だ。漢字や語句や概念が難しいからと、時事問題や哲学を忌避しても「考える力」は身につかない。

 世界も日本も常に変化の荒波の中に存在している。英国のEU離脱問題、米国のトランプ現象、中国の領土的野心など。これらはグローバル化とは反対の潮流が生まれてきたかのような印象をも与える。しかしエネルギー自給率6%、食料自給率39%の我が国が、海外との門戸を閉ざして生きていくことはできない。自分さえ良ければと思って繁栄し続けた個人も組織も国家もない。国際協調が大事だ。

 2045年にはAI(人工知能)が人類の知性を上回るという。グーグルで人工知能開発を指揮するレイ・カーツワイル氏の『ポスト・ヒューマン誕生』が示唆する「シンギュラリティー(技術的特異点)」の未来だ。

 私たちもそうだが、子供たちは一層、親世代が経験したことのない時代を生きていく。今、必要なのは、世界を知り、日本を知り、その上で自分の「志」を立てる教育だ。そして、ゼロから考える力を鍛える教育だ。

 現行の学習指導要領や授業のあり方は、本当に目前に迫るこの大きな変化に対応できる力を養っているのだろうか。次世代への温かいまなざしを持ち、自分に厳しく生きる「志の教育」という根本に立ち返ることが必要だ。今月23日、『「志」の教科書』を上梓(じょうし)する。ささやかだが新しい挑戦を始めたい。

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