政治にも色々な動きが出てきていますが、YouTubeが出来て以来、特定のフィルターを通すこと無く、色々な本物の方々のコメントや見識に触れることができるようになりました。音楽や文化的なものもそうです。医学もそうです。メディアのフィルターを通すこと無く、気軽に本物に触れることができるようになりました。特定の人たちの(下らない)フィルターを通じたものしか見聞きできなかったのが大きく変わったのです。
本物とは何か。「考え抜いた揺るがぬ理念(信念)を持ち、伝統を守りつつ、革新の気性を持つ人たちの手によって生み出されるもの」だと思います。伝統を守るとは、「父祖の世代への愛情を持ち、敬意を払うことだと思います。」そうした視点で見ると、名は体を表すこともよく分かりますし、話している言葉にも、信念が宿っているか否かがよく分かります。自分の考え・思い・信念を自分の言葉で語ることの出来る人間であることが大切だと思います。そして、そこには「人としての魅力」がなければならないと思います。さらには、判断し、決断し、行動する力も大切です。
「○○○○○○」とかいう政党も出来ましたが、名前の在り方もよく分かりませんし、やろうとされていることや、語る言葉に、本物(信念)を一切感じません。私たちには本来、本物の「思い」を感じ取る力があると思います。それが、学校で常に骨抜きにされ、「体裁だけ整えた、思いのこもらない話」を聞かされることになり、また、話すように求められる日々を過ごすことになります。例えば、生徒が学年の生徒全員に対するスピーチを依頼されても、原稿の提出が要求され、先生が赤ペンで修正し、到底元の自分の考えとは思えないような代物を読まされることになる経験を重ねていれば、誰もが「本音を隠し、建前を飾る」気持ちの悪い言語空間で生きていかなければならなくなります。そうして大人になれば、そうした価値観と言語空間を引きずっていくのが当たり前です。
政治も芸術も教育も、大きく変わるべき時だと思います。政治家をはじめ、今の社会人、大人たちを育てたのは、教育であるという自覚を、教育に携わる人間は、すべからく、強く持たなければならないと思います。他人事ではないのです。だらしない政治を作り、国民のことを本気で考えない政治を作ってきたのは、他でもない、自分自身の責任なのです。
私がやろうとしている教育改革は、徒手空拳でやるしかないものです。しかし、信念を持ってやり続けたいと思います。「人間の徳性の根本は清新溌剌である」と安岡正篤先は喝破していました。逆境や有事の時にも活き活き出来る人間でありたいと思います。そして、その人に接すると自分までもが爽やかな気分になると言われるような人になりたいと思います。
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