論語の言葉です。

「孔子曰く、君子に九思(し)あり。視ることは明を思い、聞くことは聡を思い、色は温を思い、貌(かたち)は恭を思い、言(ことば)は忠を思い、事は敬を思い、疑わしきは問いを思い、忿(いか)りには難を思い、得(う)るを見ては義を思う」(『論語』李氏篇)

「君子には九通りの考え方がある。見るときははっきり見たいと考える。聞くときははっきり聞きたいと考える。顔つきは温和でありたいと考える。態度はうやうやしくありたいと考える。言葉は誠実でありたいと考える。仕事は慎重にやりたいと考える。疑わしいことは問いただしたいと考える。怒ったときはやっかいができないかと考える。利益を前にしては取るべき筋合いかどうかと考える。」(中公文庫『論語』より)

今年は渋沢栄一が脚光を浴びることになります。実にタイムリーだと思います。ということは『論語』が脚光を浴びる年でもあります。

この叡智を秦の始皇帝は捨て去ります。焚書坑儒という暴挙です。

「焚書坑儒」とは、言論・思想・学問などを弾圧することで、儒教の書物を焼いて、儒学者を何百人も穴埋めにしたことから来ています。(数年前にも事故を起こした新幹線を埋めて、無かったことにしようとしていたことがありましたから、伝統は生きているのかもしれません。)

文化大革命でも同じようなことが繰り返されました。

今、孔子学院というものが世界にできていますが、Wikipediaでも、これは明確に「教育の名を借りて、中国共産党のプロパガンダを行う機関である」と書かれています。その中に、「ロイター通信によると日本で散見される中国共産党の浸透工作の一環を担い、民主主義の国の基本的価値観や国益を脅かしている中国政府機関である。」と書かれてもいます。

『論語』の教えには素晴らしいものがあります。しかし、なかなかその価値を正しく生き方に反映させている国はありません。

私は日本がもっとも孔子の意図をくみ取っている国だと思います。

皆さんと共に、今年は『論語』も学んでいこうと思います。

君子に九思あり – Vision&Education (goo.ne.jp)