「立身出世」という言葉は、あまり良い意味ではとらえられなくなっています。「身を立て、名を上げ、やよ励めよ」という歌詞が「仰げば尊し」に出てきます。歌が作られた当時(明治17年)は、大切にされていた価値観です。

民主主義や平等の概念から、「立身出世」は否定的に捉えられるようになってしまいましたが、そもそも「立身出世」とは何かを考えてみたいと思います。

まず「立身」とは、「身を立てること」です。自分が何らかの事が出来るようになり、手に職付けて働こうということです。何をして食べていくのかしっかり考え、学び、自分を鍛えて、ちゃんと生活していきましょうね、ということです。何の問題もありません。

「出世」とは「世に出ること」ですが、立身ができて、良い仕事を続け、他人様からの信頼が得られ、少しずつ、その人の存在が知られていくと言うことだと思います。世に出るには大変な努力が必要なのです。

私もこれまでやってきた教育が、少しずつ他人様に知られ、もっと多くの人たちと共に学べるようになったらいいなと思っています。しかし、まだまだ努力が足りず、そうはなっていません。

名を上げることは簡単ではありません。実績をあげ、信頼を長い時間、勝ち得ていって、初めてそうなることだからです。

それは、名前だけを先に売ろうとする売名行為とは対極にあるものです。

また、「身を立て名を上げ」という歌詞は、「『孝経』開宗明義章の「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは、孝の終なり」を踏んだ歌詞であり、立身出世ではなく、孝道を実践し、心身の修養を目指す儒教的な道徳を歌ったもの」だという考えもあります。

つまり、「身を立て名を上げること」が、一番の親孝行だという考え方です。

何にせよ、私は「立身出世」をネガティブに考えることには、

賛成できかねます。

必死で頑張って、

何とか成果が出るかもしれないぐらいですから、

身を立てよう、名を上げようと思って頑張らなければ、

もっと成果を出せないことは目に見えているからです。

ただ、「立身出世」という言葉の定義が違うから、

意見がかみ合わないであろう事も

容易に想像がつきます。

また、自分の人生を、他人や会社や国のせいにばかりして、

自分で自分の道を切り拓いていこうとしない人たちにも

理解できない話だと言うこともよくわかります。

立身出世 – Vision&Education (goo.ne.jp)