人の欠点や足らざる点を指摘するのは簡単なことです。自分と較べてみて、「なんだあいつは」とは簡単に思えるものです。

私もそうですが、人間は欠点の方がよく目に付く生き物のようです。しかし、そこから、どのように他人様に成長していただけるように自分を高められるかが大切なことだと思います。そこに人間としての尊さがあり、そのための果てしない努力が必要になるのだと思います。

でも、多くの場合、「なんでそんなことまで私がしなきゃいけないの」というふうにしか考えないように感じます。

赤の他人を立派な人間に育つように、力を尽くそうと思う人はあまりいません。自分ができるということを、他人にもできるようになってもらおうとするのには、ものすごいエネルギーと力量が必要だからです。

しかし、逆に、自分ができていなくて、他人様が出来ていることには、あまり気がつかないのも人間の姿かもしれません。良い点にはなかなか目を向けようとできないのです。

また、「自分のことさえままならないのに、他人様のことまでやりたいとは思わない。やったとしても、膨大な時間と労力が必要になるじゃないか」という考えもわかります。そんなことに自分の大切な時間を使いたくはないと思うものです。

しかし、それが教育だと私は思います。どう考えても無理なことに真っ直ぐ向き合うしかないのです。そして、他人様に多少なりとも影響を与える力を持つためには、自分自身の教育力を死に物狂いで高めなければなりません。命という名の人生の時間の全てと言っても良いぐらいのものを、捧げていく覚悟がないとできるものではありません。

結局、日々の仕事の中で、「私は出来ない」という人も、「私は出来る。でも、あの人はできない。」と言っている人も、自分が人に変化を与えられるところまで自分を高めようとしていない点では同じです。

何とかそこが突破できる人間になりたいものだと思います。だれも気がつかず、振り向いてもくださらないとしてもです。それが教育を志した者の生き方なのだろうと思います。