社会が良くなるということは、結局は、一人一人の人間が良くなることであり、一人一人が「良き心の習慣」を身につけること以外にないと思います。

例えば、「うそごまかしをしない。誰が見ていなくてもお天道様が見ている」という良き心の在り方を、一時的な知識として学ぶのではなく、それを心の習慣にするところまで、学び続け、心を鍛え続けていかなければ、本当に学んだとは言えないのです。それが学問するということだと思います。

受験勉強にせよ、道徳教育にせよ、一時的な知識としての学びに、人間を育てていく力はあまりないように私は思います。次の進路に進む手段としての勉強では、人間を育てていく力は弱いのだと思います。

学んだことを心の中で反復し、自己の在り方と常に照らし合わせ続けることが大切ですし、体験と共に思考を深めることが大切だと思います。それが人間が学ぶということであり、成長するということだと思います。

制度改革も必要であると思いますが、そこには限界があると思います。社会主義制度や共産主義の制度の国で何が起きているのか、指導者の在り方と、国民の姿を見ればわかると思います。

制度によって人が変わると思うのは、自分は、その「人」の埒外にあると思っているからかもしれません。これはどこの国でも同じだと感じます。そうすると、人間を、いくつかの要因に分析して見た上で、問題を取り除こうとしてみたりするのだと思います。しかし、人間が育つということは、そんな単純なものではありません。

自分を本当に育てるものは何か、また、育ててきたものは何か。自らに問いかけ、深く考えてみれば、それが制度や知識でないことぐらいはわかるはずです。

かくして、教育とは、結局は自分自身を磨くことでしかありえないという結論に私は到達するのですが、それは、ごく少数の弱者の意見であり、所詮はごまめの歯ぎしりのようなものでしかありません。

しかし、それを全力で為し続けていこうと思う私がいます。