教育を論ずる時には往々にして観念論的になる傾向があるのはなぜだろうかと思います。本当は現実の教育現場に応じた実践があって、その上に教育理論が構築されるべきだと思うのですが、そうはならないようです。例えば、授業規律が出来ていない教室で、いくらご大層な理論を振りかざしたところで、子どもたちにとっては、馬耳東風ということにもなりかねません。一方で、小学生には難しすぎると大人が勝手に思っていることでも、本当に大切なことであると感じられれば、存外に子どもたちは夢中になって話を聴こうとするものです。

今の教育は、「ここに木を植えて良いが、特定の木を植えてはならない。」と言っているようなものだと感じます。また、そうした抽象的な言葉で教育改革を論じているように感じます。具体的には、また、現実的には、木を植えるためには、梅や松や檜や杉の木を植えるしかないのです。木という木は存在しないのです。また、「偶数」という数があるわけではありません。現実的には、2、4、6、8、…という具体的な数字でしかありません。具体的な、血の通った、人間のぬくもりが感じられるような教育議論はもうできないのだろうかと思います。

抽象概念を学ぶことも思考を鍛えていく上では大切だと思います、しかし、現実の世の中は、具体的なものの積み重ねの上に成り立つものだと思います。人が人を育む教育においては、やはり、具体的な子どもたちの言動、大人たちの言動を土台に考えて行くしかないだろうと思います。生き物が生き物を育てていくという難しさに、今一度、立ち返って、真剣に向き合い直してもらうことは出来ないのだろうかと思います。

嘆いても仕方ありませんから、私は私の道を粛々と歩いて行きます。結果は出ていますし、これからも必ず出していきます。願わくば、この教育がもっと日本中に広がらんことをと思っています。