「私の夢は無価値であり、私の計画はゴミに等しく、私の目標達成は不可能である。
もし、行動が伴わなければ…。

私は、今、ただちに行動する。

地図は、いかに精密であろうとも、地図自身が、その持ち主を一インチたりとも運ぶことはできない。

法律書が、いかに公正に書かれてあったとしても、法律書自身が、一件たりとも犯罪を防いだことはない。

私の持っている巻物でさえ、そのままでは一ペニーも稼ぎはしないし、喝采の言葉ひとつを生みだすわけでもない。

行動、これのみが可能への点火剤へ火をつける。

地図も法律書も、この巻物も、私の夢も、計画も、目標も、これあってはじめて、命を吹きこまれ、動きだす。行動こそ、成功への栄養剤となる食べ物であり、飲み物である。」

これはオグ・マンディーの『地上最強の商人』の一節です。今、ロシアのやっていることを見ていて、ふとこの言葉が思い浮かびました。いざとなれば、法律や条約などは、平気で踏みにじられ、何の役にも立たないのです。

今回のロシアの動きを見ていると、チェルノブイリの原子力発電所を押さえたり、民間施設を爆破したり、日本の北方領土を特区にしたり、非道な手を平気で次々にうっていきます。

出来る限り、相手が嫌がることをするのが、敵に対しては有効な措置だと信じて疑わないからできることです。これは子供の喧嘩でも基本的な構造は同じです。相手の弱みを出来るだけ突いて、敵を苦しめていくのが戦いです。

しかし、何でもありという残忍な戦い方は、外道の戦い方でしかありません。

今回の戦争は、人間は想像し得る非人道的なこと、おぞましいこと、ルール違反などを、いくらでも実行することができるということを教えてくれています。やろうと思わなければ、その行動はできないからです。

その反対に、人間は、理想を掲げ、命を投げ出し、同胞のために戦うこともできます。それもまた、人間が想像しうることは行動できるということの証明です。

ということは、教育によって、平和や愛情や思いやりといった、大切な価値を教えることが何より大切だということです。

孔子は、市場で義足が最も売れていたような戦乱の世に、人としての在り方~仁~の思想を説きました。武力でも、法律でもなく、人の心の持ち方で、平和な世を実現しようとした、孔子の考え方を学ぶことが、やはり大切なのではないかと思います。

同時に、力無き理想論は、単なる戯言でしかないことも思い知るべきなのかもしれません。

人の世は実に難しいものです。だからこそ、自分ならどうするのかを常に考えておかなければならないのだと思います。